テーマ

工芸的ネットワーキング

秋元雄史(第1回 金沢・世界工芸トリエンナーレ ディレクター)

今日の工芸は、技術の集約物であると同時に、ある技術的な態度を伴った自己言及的な芸術概念を背後にもった産物でもある。だから、それ自体が常に「工芸とはなにか」という問いを含み、またそれは工芸という概念の補強、あるいは解体といったベクトルをもっている。その意味では、工芸は明らかに近代芸術の範疇である。

工芸概念の補強に向かう動きを「原理主義型」、もう一方の解体に向かう動きを「多様型」としてみると、それぞれ双方の動きによって、ここでは詳細な説明を省くが、実は近代に生まれた「工芸」という概念についての表裏を担っている。工芸が問題視するのは大方この部分である。しかしここで問いたいのは、外に開く工芸の可能性であって、工芸の定義ではない。

では、どのように進めるか。

"工芸的な"と形容できる内容、技術、アイデアをクローズアップすることから始めたい。昨年のプレ展「金沢の工芸の現在」展で分かったように、工芸とそれ以外を分かつ鍵となるのは生産様式、つまりその周辺を含めた技術である。どのような技術が集積しているかということである。だからそれらがどんな可能性を作り出しているか、という観点で工芸の展開を考えていく。もし工芸の自己言及的な排他性を抜きにして、「工芸的な技術」だけを取り出すことができるならば、制作はどれだけ自由に幅広いものになるであろうか。そういう観点で展覧会を行う。

冒頭にも記したように、本展は、工芸的なもの、「工芸的な技術」の拡がりと可能性に見当をつけるための(範囲には、ある限定を伴うが)場を提供するものである。そして、それが見る側に新たな工芸的なものの発見となれば幸いである。

素材と技術が高い水準で調和したときに生まれるモノの状態やそれが作り出す空間の様子を工芸的な世界と呼ぶ。そんな特別な空間に出くわしたとしたら、知覚が解放されて、たぶん世界は普段見ているよりも、より現実的に、美しく、すてきに感じられるだろう。物の直接性が強調されて、細部が知覚へと訴えかけてくる。それは五感の明らかな解放であろう。工芸的な、このような経験の場所を作り出したい。

その上で、工芸的ノッド(結束点)とそれによるネットワーキングを問題にする。隣接する他カテゴリーである建築、デザイン、現代美術と工芸を大きなネット上にあるものとして広く捉え、工芸的技術によって、新しいノッド(結束点)を作り出している作家の作品を紹介していく。ここでは工芸からだけでなく、さまざまな分野からのアプローチがあるだろう。ノッド(結束点)が工芸的技術によって生まれているのであれば、どのようなカテゴリーでも構わず、それらを「工芸的なもの」と呼ぶ。それらによって、狭義の工芸作品ではなくて、工芸的なものの考え方や技術のもつ可能性を捉えていく。