”地域的(リージョナル)視点”から見る工芸
—フォークアート、インディジナス・アート、現代工芸、デザインの比較
「第2回 金沢・世界工芸トリエンナーレ」では、工芸のひとつの特徴である“地域性”に着目して、サンタフェ、オーストラリア、台湾、日本の各地域から、フォークアート、インディジナス・アート、現代工芸、デザインを紹介する。それによって、世界の全てとはいかないまでも、それぞれの異なる歴史的、文化的背景をもつ地域における工芸的なものを比較し、その拡がりを捉えていく。また同時に日本における工芸の輪郭を見直していく。
ここでいう「工芸的なもの」というのはかなり幅広い意味を想定しており、フォークアート、現代アート、デザイン、またそれに近現代工芸も含んでいるのだが、この場合の「工芸的なもの」は、ひとつのカテゴリーというよりもそれらを横断する「工芸的な要素」と考えていただきたい。
工芸を一旦「工芸的な要素」に分解していく方法は、第1回の工芸トリエンナーレでも行った手法であるが、引き続き第2回でも踏襲し、今回は「地域性(リージョナル)」をキーワードにして、別の文脈をもつ工芸的表現を見ていく。
尤瑪達陸(ヨゥマ・ダルゥ)《Convolution of Life Series》2012-13
Yuma Taru Convolution of Life Series 2012-13
日本において工芸は、自らの文化の固有性を代弁する強固な美術カテゴリーとして語られる傾向にあるが、実際には世界の様々な地域にも、それぞれの風土・生活を足場とした、現代化した工芸的な傾向を持った美術が存在する。(ここでいう「工芸」*とは日常的側面をもつ芸術であること、また土地やその歴史と深く関わり地域色が強く残る、あるいは地域内においてのみ共有される美意識から成るものというような意味で用いている。)
地域的であり、かつ風土・生活とのつながりが深いという意味では、日本における工芸との近親性を持つが、成立過程や結果の姿は、それぞれ地域の歴史、風土、文化によって異なっている。別の言い方をすれば、それらは異なった出自や展開をもつ今日の工芸的要素をもった美術ではあるが、現代アートやデザインのように、それらを結びつける言葉が、「世界的(グローバル)」ではなく、「地域的(リージョナル)」であるという点を強調しておきたい。
これらの工芸的芸術は、かつては日々の営みを助けるためにつくられた道具であったり、また日常を彩るための装飾品としてあったものだが、時代の変化の中で次第に有用性を失っていき、民芸品やお土産品、伝統的物品となったものたちである。それらは伝統的な生活様式とのつながりという点から、近代化の過程で生まれた近現代美術における絵画、彫刻のような世界化、あるいは普遍化した純粋美術とは一線を画するものとして扱われ、地域に閉ざされた前近代的なものとして語られてきた。また、近代デザインのような近代的な主体性や創造性ももたなかったため、その地域の伝統や民族文化に埋没し、近代的主体性を欠いた物として扱われてもきたというのがこれまでの歴史である。日本の近代工芸史はまさにその課題の克服の歴史であったわけだが、前述したような時代の流れを経つつ、絵画や彫刻と同様の近代美術として工芸を再編してきた。
こういった工芸的要素の現代化、あるいは再編という動きについて世界に眼を転じて眺めて見ると、世界の各地に工芸的、地域的な要素を色濃く残しながら、近現代美術やデザインの文脈とは異なった方法で、それを乗り越えていくような主体的な表現と言えるものが現れている。今回紹介するフォークアート、インディジナス・アート、また新たな工芸的表現は、その一端である。
マーガレット・グドゥムクウィ/ユタバダラヤラ |
今回、選んだ地域は、もちろん近代の洗礼を受けている。また、ある意味では、その地域固有の歴史と近代とが出会い、独自の文化を発生させつつ近代化しているともいえる場所だ。そこには独自の歴史的な努力の過程があって、近代美術的な価値観・方法論(例えば絵画や彫刻、デザインといった形式)を使わずに、別の方法によって近代を克服しようとしているともいえる。そのような動向を今日の工芸、あるいはもう少し広く視野をとって工芸性を残した美術、デザインとして見ていきたい。さらには地域、風土、歴史に足場を取りつつも、それに回収されない現代性や創造性、個性、批評力をもった今日の芸術として眺めてみたい。 |